新宗教の風土 真宗「原理主義」の台頭

ある青春


 T君や、それに似た体験を語る若者たちには、ひとつの雛形がある。それは、現在親鸞会の弘宣部長をつとめる浅倉保氏のケースである。彼には『かくて私は人生の目的を知った』という著書があり、若者の信仰の手引きとして多くの版を重ねている。それによると、1967年当時、沼津高等工業専門学校3年生に在籍し、設計技師をめざして勉学に励んでいた彼は、ふと、みずからの職業選択の曖昧さに気づく。そんなおり、たまたま亀井勝一郎の『青春をどう生きるか』という本に出会って、職業の選択以前に、自分は「何のために生きているのか」という根本問題が解決されていないことを悟る。そこで、学業を放棄し、落第も覚悟でその一年を人生の目的解明に当てることを決意した彼は、亀井勝一郎を手はじめに、洋の東西にわたる作家や哲学者の万巻の書物を手当たりしだいに読みはじめる。やがて、トルストイの『懺悔』などの影響でしだいに虚無感を深め、これもトルストイの示唆によって、最後の望みを宗教に託する。キリスト教をへて親鸞の教えにまでたどりつくが、まだ腑に落ちぬものがある。そうして、いよいよ落第が目のまえに迫ってきたころ、悩みをうちあけた友人から、当時滋賀県の米原町にあった親鸞会のことを教えられ、とりあえず高森会長の話を聞きに行く。そこでは、いまでもさまざまな機会に引用される『譬喩教』のなかの「人間の実相」の譬え(猛虎と毒竜のはさみ撃ちに遭って細い藤蔓にみずからの運命を託する旅人の話)や、親鸞聖人の信心決定までの話を聞かされるが、とくに「体失不体失往生」の諍論の全貌を聞くに及んで、彼はこみあげてくる感激とともに、ここにこそ自分の求めてきたものがあると確信する。こうして「青春の彷徨に終止符を打った」彼は、勇躍郷里の千葉に帰って両親を説き伏せ、親鸞会の人となる。「私はついに知ることを得た。人生究極の目的は信心決定であることを」。彼の本はこのように結んでいる。

 浅倉氏の体験はその読書傾向からしても、いかにも旧世代の人のそれのように思われる。しかし、「とどろきヤング」の若者たちの語る入会の動機を見ていると、この浅倉氏の体験にどこかで自分自身をかさねあわせてみている節がある。それは、人生の意義や目的を見失った者の不安と、それを見出したときの喜びに、彼らが深く共感するものがあるからにちがいない。既存の新宗教教団の教勢がやや伸び悩んでいるなかで、親鸞会が意外な健闘ぶりを見せている理由の一端を、ここにも垣間見ることができるであろう。
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