新宗教の風土 真宗「原理主義」の台頭

入信する若者たち


 こうした法話のなかで、とくに印象深いのは、先述の学生部の青年たちが、高森会長の話を一言も漏らすまいと身じろぎもせずに聞き入っている姿である。年齢的にも地域的にも真宗の信仰とはもともと縁の薄いと思われるこれら若者たちの心を、いったいなにが魅きつけているのであろうか。

 親鸞会には「親鸞聖人の教えを伝える総合誌」と銘うった『とどろき』という月刊誌があるが、その一昨年の号まで、若者たちの入信の動機を伝える「とどろきヤング」というコーナーがあった。そのなかにわたしの教え子のT君のものが入っているので、彼のケースについて紹介してみよう。T君は中学・高校と陸上教義をやっていた。100メートルの自己ベストが10秒9という駿足で「群馬のカモシカ」と呼ばれていた。その彼が中学2年のとき、陸上の全国大会があり、参加したくてがむしゃらにがんばった。そして、首尾よく念願をはたしたのだが、目標があまり大きかったからか、終了後になにかがプツンと自分のなかで切れてしまった。大学受験に向けても真剣になれず、惰性の日々のなかで、人生を賭けて悔いのないものを捜し求めた。やがて富山大学に合格し、入学の手続きに来たとき、構内で先輩から「人生の目的を考えたことがありますか」と声をかけられた。大学にもこんな真面目なサークルがあるんだと思ってつきあってみると、そこではじめて、死に直面しても崩れない絶対の幸福を得ることこそが人生の目的だと知らされた。いまは最高の充実感で満たされているという(『とどろき』1993年)。

 同じ欄の他のケースをみても、状況の違いはあれ、なんらかの自己喪失感を前提とし、「あなたの生きる目的は?」の一声にひかれて、あるいは虚をつかれて、入会している人たちが圧倒的に多い。もちろん同じ問いに、みながみな魅かれたり虚をつかれたりすることはありえない。まともに反応する人たちは、どちらかというと、真面目にものを思いつめる人たちのようである。ちなみに、わたしが、富山大学の授業の受講生117人を対象におこなったアンケートのなかで、「「あなたの生きる目的は何か」と聞かれたら何と答えますか」という問いに対しういちばん多かったのが、「考えたことがない、わからない」の18人で、あとは、「楽しく生きること」の14人、「自分を完成(向上)させること」の12人、「やりたいことを精一杯やること」の10人、「様々なことを学ぶこと」の8人、「幸福になること」の7人、「生活を充実させること」の7人等々であった。いろいろと考えさせられる数字である。
.

    

 

[PR]動画