新宗教の風土 真宗「原理主義」の台頭

後生の一大事


 谷本さんは、かつての面影もなく痩せこけて、会話もままならぬほどの状態だった。浅倉氏は、数日まえ、富山県井波町で開かれた高森師の聴聞録を見ながら話をはじめた。耳元に口をつけるようにして。「谷本さん、人間は生まれたら必ず死んでいかねばなりません。死ねば後生の一大事です。必ず無間地獄に堕ちていかねばなりませんだからこそ、高森先生は、真剣に聴聞せよと命がけで叫んで下さっているのです。いままでどんな聴聞をしてこられましたか。高森先生は井波でおっしゃいました。聴聞姿勢がなっていない。暑ければ涼しくして、寒ければ暖かくする。車でスーっと法話会場に運ばれ、終わればまたスーっと車で帰る。まさに旅行気分ではありませんか。そんな気持ちで聴聞しているから臨終に泣くのだ。他人の為に仏法を求めているのでもなければ、誰かに頼まれて聞いているのでもない。一人一人の後生の一大事がかかっているのです。生涯橋の下の乞食になってもよい。手足をもぎとられ、だるまになってもよい。なんとしても、後生の一大事の解決をしたいと畳に爪を立てて聞くのです。後生の一大事に泣かん心に泣き泣き求めるのだ」。

 看護婦から許された40分間、耳元で大声を上げて高森師の言葉が伝えられた。話が終わった後、谷本さんは奥さんの方を向いていった。「治ったら、今度こそ仏法一筋で聞かしてもらうでな」。そのとき谷本さんの息子がいった。「もうお父さん、そんな暇は無いんだよ!」。浅倉氏もたたみかけるようにいった。「そんなことを言っとったら、後生はもうすぐなんですよ。もうそんな時間は無いんですよ!」。これは谷本さんに対して死の宣告を意味する言葉だった。なんという無慈悲な、と奥さんは思ったという。

 谷本さんはそのとき以降、急に黙り込んでしまった。その日から病室の空気が一変した。彼は一日中にこりともせず、ただ無言で天井を見つめるだけになった。むろん、いままでのように仏法の話をすることも無くなった。

 12月28日、無言だった谷本さんは急に高森先生に手紙を差し上げたいといいだし、一言一言絞り出すように、みずからの心中を語りはじめた。

合掌
 会長先生にご縁があってから11年間、ただの一遍も真面目に聞こうとしたことの無い私でした。死の巌頭に立っているのに、まだ後生が見えてこんのやって、わしは……。そういういい加減なものやと。会長先生を泣かせ、阿弥陀様を泣かせ、お釈迦様を泣かせ、私は頭の中では、こんなもの必堕無間ということが分かるんです。ところがどんなにしても下の心が真剣に取り組もうとしないんです。会長先生にご縁があってから以降、ただの一遍もまともに聞いたことの無い貞三でした。真剣に聞こうとしない下の心、いかに死んだ心かということだけ分からしてもらいました。

 また、谷本さんは、親鸞会会員にも伝言を残している。

親愛なる会員の皆様へ
 いよいよお別れの時が参りました。長い間私を陰になり日向になり導いて下さったことをお礼申し上げます。今病床にありながら、わが師、会長先生のテープを聴かせてもらうに、たった一つ、10年間何も聞いとらんだと分からしてもらいました。私はこんな殊勝なことを申し上げながら、なおかつ後生の一大事が分からないのです。分らない!人前ばかりつくろって、一番聞いていなかったのが、私でした。後生はそんな甘くないぞ!甘くないぞ……!

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