新宗教の風土 真宗「原理主義」の台頭

高森顕徹師


 西本願寺では、浄土真宗親鸞会(以下「親鸞会」と略する)のことを、しばしば「高森親鸞会」と呼んでいる。高森とは、この教団を設立した高森顕徹師のことである。後述するように、西本願寺発行の『伝道院紀要』という雑誌に親鸞会を非難する論文が載ったことがきっかけで、1980(昭和55)年から84年にかけて、親鸞会がみずから「法戦」と呼ぶところの激しい抗議行動がくりかえされた。したがって、このいい方のなかにはいかにも高森師を独裁者のように印象づけようとする、揶揄とも憎しみともつかね複雑な感情が込められているのだが、そうした文脈を抜きにしても、高森師の絶大な影響力を無視して、この親鸞会を語ることはできない。

 会員たちから「現代の善知識」と仰がれ、慈父のように慕われている高森顕徹師とは、そもそもどのような人物なのか、それを語るには、第三者の下手な解説よりも、本人の言葉にまさるものはないと思われるので、まずは、ある日の彼の講演の一部を紹介してみよう。これは、1988年6月12日、本部会館落慶法要の際におこなわれたものである。

 本部落慶に当たり、何度確かめても確かめ過ぎないのは会館建立の目的であります。それは人生の目的を達成するためであります。私たちは何のために生まれ、生きているのか。色々な苦悩と戦い、乗り越えて生きていくのは大変ですが、なぜ、そうしてまで生きねばならないのか。この人生の目的を知らねば人間に生まれた意味も、生きる所詮もありません。政治、経済、科学、医学、芸術、倫理道徳といえども、すべて存在意味をなさなくなってしまうのであります。

 私達が最も尊敬し、お名前を頂いて会の名称としている親鸞聖人は、この最も重要な人生の目的を明らかに教えて下されたお方です。親鸞聖人は、どう教えられたか。「人生の目的は後生の一大事の解決」とズバリ教えておられます。では、後生の一大事とは何か。人間、生まれたからには死んでゆかねばなりません。医学が20年や30年、寿命を延ばしても、死は避けられません。生きるままが刻々と後生に近づいているのです。

 世界最高の偉人も、釈尊も、最低の悪人の提婆〔師の釈尊に危害を加えようとし、無間地獄に堕ちたとされる人物〕も、誰も逃れられないのであります。

 では、死ねばどうなるか無になると思っている人もあり、極楽か天国に行けると思っている人もあります。いずれも、後生に暗い人達の言うことであり、仏智により釈尊は、こう教えておられます。極楽どころじゃないぞ、必ず無間地獄に堕ちる。無間地獄とは、苦しみが絶えずやって来て、途絶える間が無い世界をいいます。誰かに突き落とされるのではない。「火の車造る大工はなけれども己が造りて己が乗りゆく」、己の種まきにより一人一人が造った苦界へ堕ちてゆくのです。この世のどんな大事も、この、無間地獄に堕ちて八万劫中大苦悩を受ける大問題と比較したら、問題にならない。後生の一大事と比較するなら、こんな会館の百や二百、ものの数ではありません。マッチ一本で燃えてしまう。無常なものだから当然です。それを身をもって教えられた方が親鸞聖人です。

 このあと高森師は親鸞聖人の生涯について触れ、求道者時代をへて法然上人と出会い、ついに「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」〔どのような修行も満足にできない身である以上、結局は地獄が定められた行き処なのである〕と自己の真実の姿を照破し、「その地獄ゆきの、どうにもならないかたまりのお前を救う弥陀がいる」という無上仏の呼び声に目覚め、信心決定して生死を超えた世界に出るまでを、平易な語り口で淡々と述べている。そして、つぎのように話を結んでいる。

 親鸞聖人は今から700年前のお方ですから、色々なことが今日と違います。それで私は、現代の皆さんに親鸞聖人のみ教えを正確にお伝えするにはどうすればよいか、日夜悩んでいるのです。間違いだらけの私です。親鸞聖人でさえ、お手紙の中に「我あやまてり、我あやまてり」と仰有っておられます。だから「もし私の言っていることに間違いが有れば仰有って頂きたい」と申し上げているのです。間違えたら大変。仲人腹切り仕事と言います。それどころではないのです。ですから、本願寺が非難するならば、して頂いて結構、間違っていたらただちに正します。また私が色々な人の書物を読んでいるのは、日本は小さい国と言いながら、立派な方が沢山おられると思うのです。後生の一大事を解決する、より近い道を教えておられる大徳があるならば、それを学び、皆さんにお伝えしようと思っているからです。私は皆さんに本当の親鸞聖人のみ教えをお伝えしなければならない。全人類にわかってもらわねばならない。そのための本部会館建立であります。

 かねがね、本部落成と健康の回復と同時になってほしいと願っていました。どうですか、声は。大分、ハリがでてきたでしょう。(拍手)これ偏に無上仏のご加護でありますが、また皆さんから種々ご親切を頂いた結果だと感謝しています。

 彼の話はここまでである、もちろん、話の内容についての賛否はさまざまだろうが、少なくとも高森顕徹師の、ある種のカリスマの片鱗は、感じとっていただけたであろうか。
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